‘みんな’のしあわせ願う、こうやの話

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こうや豆腐と歳事行事 ハレの日には、こうや豆腐を食べよう!  監修:元高野山大学教授・日野西眞定

家族の繁栄と幸運を祈って

家族みんなが揃って楽しむハレの日といえば、何といっても、年始めの「お正月」と「節分」。
それらの行事を彩る〈おせち料理〉や〈恵方巻〉には、“こうや豆腐”は欠かせません。
その年の健康や幸せを願いながら、こうや豆腐のご馳走を家族みんなでいただきましょう。

◆お正月

お正月は、年神様をお迎えして一年の生活の安泰を祈る、最も重要な“ハレの日”です。
〈おせち料理〉は、もともと年神様にお供えする“ご馳走”のこと。五穀豊穣、家内安全、子孫繁栄などの願いを込めて、縁起の良い由来をもつ食材で作られます。
こうや豆腐は、その四角い形から「災いを防ぐ盾」とみなした縁起かつぎで、おせちの煮染(にしめ)の具材として用いられます。(詳しくは、下のバナーをクリック!)
鎌倉時代中期に、高徳なお坊様が、豆腐を凍らせたことから偶然生まれたとされるこうや豆腐。古来より、高野山のような山間の寒冷地で作られていたため、非常に貴重な食べ物でした。お坊様たちが精進料理として食べていたものが、贈答品として贈られることにより、しだいに全国に知られるようになりました。保存性があり栄養価も高いので、戦国時代には兵糧として用いられていたといいます。戦国時代が終わり、もともと農民だった下級武士が帰農した際に、その製法を伝えて各地に定着したものといわれています。宮城県、長野県、長崎県の一部地域では、おせちに入れるだけでなく、雑煮に入れて食べる風習が今でも残っています。

伝統的な重箱に入った〈おせち料理〉。

長崎県島原地方の〈具雑煮〉。島原の乱(1637年)で天草四郎が原城に籠城したときに、兵糧として貯えた食材を雑煮として炊かせたのがはじまりといわれています。
(写真提供:長崎県島原市)

家族の“しあわせ”願う、おせちの話

◆節分

「節分」とは、本来、春・夏・秋・冬の季節の区切りをいいました。最初の節分の翌日は、「立春」で暦上、春になります。この最初の節分のみを、現代のわたしたちは、「節分」と呼んでいます。旧暦では、大晦日にあたり、新年を迎えるために邪気や疫病を払う行事が行われました。この古代中国で行われていた行事が、奈良時代に日本に伝わり、宮中の年中行事になったといわれています。
平安時代には、「追儺(ついな)」の行事として「豆まき」が行われました。豆は「摩滅(まめつ)」に通じ、「摩」は「魔」と字音が同じなので、鬼に豆をぶつけることで、邪気を追い払い、一年の無病息災、五穀豊穣を祈ります。節分で豆をまき、自分の数え年分だけ豆を食べる風習は、よく知られています。
ところで、節分の日に、恵方(年神様の在する方位)に向かって、商売繁盛や無病息災を祈りながら、太巻き寿司〈恵方巻〉を丸かじりすると縁起が良いとされています。もともとは大阪の風習でしたが、最近は、全国区のイベントとして定着しつつあります。巻き込む具は、七福神にちなんで、こうや豆腐、かんぴょう、キュウリ、シイタケ、だし巻、ウナギ、でんぶの7種類。「福を巻き込む」という意味合いがあります。
「こうや豆腐は七福神に見立てると、どの神様?」と想像しながら、〈恵方巻〉を作るのも楽しいかもしれません。毎年節分の日は、家族揃ってそれぞれの願いを込め、手づくりの〈恵方巻〉にかぶりつく――“わが家の楽しいイベント”になること、うけあいです。

節分にいただく、こうや豆腐入りの〈恵方巻〉。
ハレの日の巻き寿司の具芯に、“こうや豆腐”を入れる地域は多い。

節分に大人気の〈天船巻き寿司〉(マイスター工房 八千代)。

「高野山三宝院の正月行事」―日野西先生のお話

弘法大師の御母公ゆかりの寺院である三宝院(承和年間開創)では、毎年、「正月の年迎え」の行事を古式伝統に則って行っています。
同院には、「土室(つちむろ)」と呼ばれる高野山独特の囲炉裏があります。昔は、どの家庭でも、この火を囲んで家族皆が、“お正月様”をお迎えしていましたが、しだいにこれが電気炬燵に代わり、やがてこのような風習もほとんどなくなってしまいました。ところが、高野山の各院には、今でもこの囲炉裏が生きているのです。ここでは、「土室」と呼ばれ、木の枠の中に鉄瓶がぶら下げられ、その下には割木が燃やされています。その上の棚には、鎮守稲荷社※(荒神=火の神)と弁天(財宝を与える神)が祀られています。
年神様(正月の神)を祀る棚は、その傍らに設けられています。向かって左に「綱敷天神」、中央に「八幡大菩薩・天照皇太神宮・春日大明神」、右に正月用の「蓬莱山の絵」が祀られています。そして、その祭壇の前に、“高野豆腐”がお供えされています。


「高野山では、いにしえより、高野豆腐は非常に大切にされてきました。別名“凍み豆腐”といわれるように、もともと高野山ならではの寒冷な気候で作られた独特な食べ物です。だから、正月行事に限らず様々な行事で、収穫された野菜とともに精進供として、お供えされる風習が今でも続いているのです」。(同院住職)


※「土室」自体が、高野山独特の「囲炉裏」の場であるため、つまり「火の神の信仰」の場所といえます。この三宝院の鎮守稲荷は、民俗信仰の立場からは荒神信仰と結びつくわけです。

「土室」と、その上に祀られた神棚。

年神様の祭壇と、お供えされた高野豆腐。

さて、正月行事は、初厄除けの護摩祈願、あわせて北面大師像の拝観、続いて土室で「松三宝の儀」が執り行われます。年神様を祀る正面後方の座に三宝院住職が坐し、松三宝(米・昆布・勝栗)を弟子の僧侶や信者たちに与え、そのあと三方という台に二枚のお重ね(餅)を載せ、住職とその前に坐した僧侶たち、次いで信者たちが各々反対側から頭で押し合う様子でお重ねを戴きます。そのお重ねには、正月の神が籠っており、これを互いに押し合うことにより、住職から相手にそれに籠ったお力を戴くことになります。この作法を「戴き餅」と呼びますが、つまり、これによって無病息災を祈るわけです。 高野山の寺院でも、このような古式正月行事を残している寺は、非常に少なくなってきています。 このような神聖な行事に、必ずお供えされる“高野豆腐”。悠久の時の流れとともに、いかに尊い食べ物であるか、がわかります。

合掌

「松三宝」。

「松三宝の儀」の「戴き餅」。

日野西眞定(ひのにし・しんじょう)

大正13年生まれ。大谷大学大学院仏教文化学科博士課程修了。元高野山大学教授、前奥之院維那(いな)、日本山岳修験学会顧問。現在は、民俗学、修験道などを中心に、著述業や講演などで活動中。仏教民俗学の権威、五来重(ごらい・しげる)氏は恩師である。著書に、『高野山民俗誌 (奥の院編) 』『高野山四季の祈り―伝灯の年中行事』(佼成出版社)など。